芽吹きの方法


無数の小径がある。それは、人が通った跡なのか、獣のそれなのかは定かではない。そのうちの一本を辿って藪の中を歩き続けると、ようやく水の音が聞こえはじめる。

山梨県から東京都、そして神奈川県へと流れる多摩川には、都市部を流れる一級河川であるにもかかわらず、中流域でも護岸化されていない場所が多い。
そのため河川敷には整備された土地では見ることの出来ない植生が広がり、春を過ぎたころから人の侵入を拒むような景色に一変する。

私が15年ほど撮影を続けている場所は、多摩川流域の中でもとりわけ川崎から青梅のあたりである。
継続して撮影していると、当初撮っていた場所が大水で流され、跡形も無く消え去ってしまうことがある。 異常気象の影響なのか、先だっての台風被害も記憶に新しい。河川敷とは都市の一部でありながら、自然とのハイブリットな環境特性を持っている。
私が河川敷に興味を持ち撮影をはじめたのは、この場所を橋の上から眺めた時に、都市を裏側から眺める可能性を見出し、冒険心をくすぐられたからだ。
2009年に開催した初めての個展「plant」で私は、当の多摩川河川敷の写真と、すでに整備され管理されている八甲田の国立公園にある樹木の写真の両方を併置して展示した。
その後の個展では河川敷のみへと興味は集中していった。
なぜなら、初期は河川敷という打ち捨てられたような領域と人の手により整備されている保護区としての領域の境界に目が向いていたからだ。
その後、徐々に河川敷それ自体に対する興味が強くなり、河川流域の刻々と変化する様相を丁寧に撮り貯めることに務めた。
季節による変化と、災害により全く新しいものになる変化。
都市部で厄災をまるで無かったことのように振る舞う人たちに、河川敷はその都市の内部にあってなお野生を示し続ける。土手を隔てて隣接する居住地とは対象的な場所である。

夏の終わりに、ようやく蚊の襲撃も弱まる頃、久方ぶりに現場を訪れると、目印にしていた大木が失われ、正確な位置さえ分からなくなっていた。
ホームレスの人が住んでいた場所も、もぬけの殻になっている。呆然としていると、河原にトランペットの練習に来ている人の音色にふと我に返る。
よく思い出すのは、小学校高学年の頃、課外活動でリトマス試験紙を使って、近所の浅川の水質検査を皆でしたことだ。なお、浅川は多摩川の支流でもある。
色が変わるリトマス紙を見た小学生の私は、護岸工事が原因となって生態系が崩れるという内容の作文を書いた記憶がある。 けれど今になってよく考えみたら、都市部を流れる一級河川がありのままであるべくもない。
30年の月日を経て私はリトマス紙こそないものの大きなカメラを担いでたまに転んだりしながら撮影をしている。